綿密に計画を練って

今思えばずいぶん勝手な話だ。私は、試験の前日までに日本にたどり着くように、綿密に計画を練って、姉から送られてきた航空券で、まだ見ていないヨーロッパの都市、たとえば当時、封鎖されていてヒッチハイクではとても行くことができなかったベルリンや、足場が悪くて行きにくかったウィーン、そしてヴェネチア、ざらにアテネそしてカイロへと片道切符でできる限りの周遊を企てた。なによりも一番にスウェーデンにたち戻って彼女に許しを乞い、別れを告げるために、たった二日間でローマからスウェーデンへの、ヨーロッパ縦断の大ヒッチハイクを試みた。果して、その後はスウェーデンからの飛行機による豪華な旅の始まりである。後で、この話を聞いた姉は、なんてヤシだと私をののしった。まったく転んでもただでは起きないというか、どこまでもズルイヤッだというのである。しかし、私にとってこの手紙は、天使からの贈り物のように思えた。何しろ、帰国後の大学の籍に望みがあったわけだし、その上、のどから手が出るほどほしかった航空券が手に入ったのだ。これを最も有効に利用しない手はないではないか。私は、ョ-ロッパを見られるだけ見て、本当に試験の前日に日本に戻った。日本に帰ると、友人たちみんなが、講義ノートやら試験のあんちょこを用意してくれていた。このノートやあんちょこを徹夜で頭に詰め込み、無事に試験を乗り切ったのである。まったく、持つべきものは友である。国外逃亡、そして欧州無銭旅行という、無謀な試みをした私を許し、応援してくれた教授の小島重次先生、そして姉や友人たちには、いまも申し訳なく感謝の気持ちを忘れない。